離婚裁判3年目 判決離婚後の慰謝料裁判で一審判決棄却を不服として上告、このたび、晴れて高裁で勝利を獲得しました
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06/20
2005 Mon
私の存在価値
正直、今だにまだ頭は現実を受け入れていない…。

9割方、負けることはないと思っていたから。

開き直ったつもりだった…。
でも、何度も奴の答弁書や陳述書を読んでいるうちに、本当に悲しくなった。

学生時代から、ずっと「先生」という存在で、無給で奴の仕事をずっと手伝ってきた…。

ハワイに1ヶ月滞在していたときも、みんながビーチで楽しんでいる間、ずっと奴の仕事を手伝っていた。
仕事で疲れて帰って来ても、奴の書いた原稿の校正を頼まれ、それもやっていた…。

その他、日本全国、色々な調査に回ったときも、仕事を休んで同行し、メモを取ったり、写真を撮ったりした。

家事も洗濯も掃除もできる限りみんなやった。

しかし、奴の陳述書には「決して家事はちゃんとやっていたとは言えない」とまで書かれた。

一緒にいろんなことをしてくれるのがうれしい…その言葉に、夜中の釣りにも付き合ったし、休日のボート遊びや、ガーデニングまで手伝った。

ガーデニングに必要だからと交渉してただで捨てる予定の枕木を取りに行くのを手伝うのを頼まれた。
そのために仕事も休んだ。

取りに行ったとき、先方は「奥さん、連れてきたんですか?!」と驚いていた。
当たり前である。
枕木は1本あたり80~100キロもあるのだから…。
それを合計20本、あなたならできる…そう言われて(ちなみに私は平均よりも背が低く、太ってもいなかった)手伝わされた。
手は震えが来て、それを支えるために太ももに乗せて何とか運んだ。
家に帰って来て、それを車から降ろすのも手伝った。
私の太ももはあお痣だらけになった。
それでも夫はへらへら笑っていた。

庭にレンガタイルでアプローチを作ったり、芝生を張ったり…ほとんど私がやった。

奴はリビングに寝転び、僕は腰痛持ちだから、できない…そういって、もっと腰を入れてかき混ぜなきゃ駄目だと重いモルタルをかきまぜさせられ、芝生を入れるために、あっちが斜めだとかこっちが盛り上がっているとか、斜めだとか言って土慣らしをさせられた。

ガーデニングにもすぐに奴は飽きた。

結局、手入れをしなければいけなくなったのは私。

見かねた両親が車で4時間かけて手伝いに来たが、奴は仕事があるからと書斎に籠もり、知らん顔し、両親が帰った後は飲んだくれてソファで寝ていた。
そして、庭に雑草が伸びてくると「自動草刈機、こないかなぁ…」とうちの両親のことを言っていた。

物置も、普通のじゃかっこ悪いからと、ログハウス風の輸入の高価なものを購入した。
木製だから、ステイン剤を塗らなければならない。
それも1回目は半年後にもう一度塗らないと効果が薄れる。
その物置(約2メートル四方、高さ3メートル近く)のステイン塗りも、おだてられながら塗らされた。

テレビの配線も自分じゃ屋根裏に上がれないから、あなたの方が体重が軽いでしょと言われ、屋根裏にも上らされた…。

庭に書斎(約16畳)を建てたとき、費用をけちった奴に床張りを手伝わされた。
そうやって出来上がった書斎に一向に本を移動させない奴に、いつになったら本を移動するのかと聞いたら、暇なときにあなたがやってよ…そう言われた。
結局、書棚10本分以上の重い大きな本を2階から下ろして書斎に持っていき、本棚に並べた。
さすがプロだとおだてられながら…。

結婚前からずっと欲しかった犬をボートと引き換えに飼ってもいいと言われた。
室内で飼うことは最初から話をしていたし奴も承諾していた。
名前も奴がつけた。

犬を飼える環境にしてやったことを感謝して欲しい…そう陳述書には書かれていた。

大黒柱としての自分に対して自分は精いっぱいやったのだから尊敬して感謝しろ…そう書いてあった。

犬を飼ったことで奴の思うとおりに私が動けなくなった。
子犬はどうしても手がかかるし仕事も持っているから、奴のような時間が自由になる人の趣味にはついていけなくなった…。
神経質な奴は、犬の毛一本、ダニ1匹室内で見つけただけで大騒ぎした。

結果…外に女を作って騙しのように家を出て行った。
それも私のせいだと言った。

犬を一生懸命世話している私を見ていたら、自分に対しての愛情が本当にあるのかどうか疑問に思ったと言った。
私が犬にかける愛情のようにあなたに接していればよかったのかと聞いたら「そうかもしれない」と言った。
大の大人が、自分が飼うことを許した犬に嫉妬していたのである。

犬を連れて散歩に出かけ、慣れない田舎道を歩いているうちに街灯もない道に迷い、真っ暗になってしまったことがある。
月明かりを頼りに、なんとか知っている道に出て、やっとの思いで家にたどりついた…。

…夫は、飲んだくれていてテレビを見ていた。

真っ暗になっても帰ってこない私のことを心配もしていなかった…。
事情を説明しても「そんなわからないとこ行くのが悪い」と言われた。

お酒の飲みすぎも、痛風をわずらっていたので健康を気遣い、注意した。
痛風の人のための食事の本まで買って食事も作った。
椎間板ヘルニアぎみだったので、痩せるように忠告した。
しかし奴にはすべて「文句」としか取られていなかったようだ。

そして陳述書では…「最初から妻とは思っていなかった、いわば親子のような関係だったような気がする」と書かれた。
ガーデニングやボートはすべて私を喜ばせるためのもので、自分は妻を喜ばせるために一生懸命やったと書いてあった。

私のあなたのために費やした時間を返してください…

あなただけのものになるために買った家のローンのために私が出したお金と私を引きとめ続けたその時間を返してください…

私は…そんな奴に、いろいろなことを教えてくれたり経験させてもらってとても感謝しています…そんなアホなメールまで送ってしまった。

…馬鹿だ…

私はいったい奴の何だったのだろうか…。

そんな男が…なぜ大学の先生などという職を平気でやっていられるのだろうか…。

叔母と同じことをしてやりたいと、今、心から思う…。
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