離婚裁判3年目 判決離婚後の慰謝料裁判で一審判決棄却を不服として上告、このたび、晴れて高裁で勝利を獲得しました
--/--
-- --
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
07/15
2005 Fri
ショックなできごと
今日、以前、夫と一緒に参加していたある学術研究会を主催している財団の事務の方から、お電話をいただきました。

私たちの結婚式のときに仲人をしていただいた先生の今までの著作を集めて1冊の本にして出版することになったので、そのパーティーに是非、ご夫婦で参加してください…とのことでした。
実はこの先生、私たちの本当の仲人さんだったのです。
私は先生の在籍していおられた大学の学生で、夫は先生の転職先の同僚?でした。
(当時先生は教授で夫は助手でしたが…)

当時、前妻の浮気で離婚協議中だった夫があまりにも落ち込んでいたので、夫を気遣った先生が、気晴らしにフランクな仲間内の研究会に出るように誘い、私はその研究会の開催の手伝いをするようにと先生から仰せつかったときに紹介されました。

それから何度か、話をしたり、頼まれてお仕事を手伝ったりしているうちに…いつのまにか結婚というベルトコンベアーに乗せられて、就職して2年もしないうちに、あっという間に結婚退職でした。

今思えば、私に仕事を続けて欲しいと思うのだったら、せめて夫の職場と私の職場の間にマンションでも借りてくれればよかったのでしょうけれど、そのときの私は、そんなこと全く頭になく、ただ、毎日夫と一緒にいられる…それだけで幸せをかんじていたので、躊躇なく仕事を辞めてしまいました。

全く馬鹿でした。
続けようと思えばたとえ子供が産まれてもやめなくていい職場…お給料もかなりしっかりでした。
しかも当時はバブルな時期で、すぐに同じような職が見つかる…そう思っていました。
実際、電車で片道1時間半、仲人の先生の紹介もあって、ほどなく仕事が見つかりました。

しかし、その後、夫は当時住んでいたアパートがあまりにも自分の職場に近い(車で10分程度)ということと、田舎に住んでドライブ気分で仕事に行きたい、部屋が狭いなどと言い出し、当時、駅まで歩いて5分の便利な場所から、今の場所に私の反対など、「あなたに決める権利はない」との一言で頭金を出させられ(ここで断固として拒否しなかった私もわるいのかもしれませんが…)とにかく、ことあるごとに「いざとなったら東京の実家を改築したときに自分たちの部屋を作ってもらったからそこをつかえばいい」と説得され、それまで1時間半だった通勤時間が2時間となりました。
そして、家に帰ると家事、夫の仕事の手伝い…体は半年で音を上げました。


そして次の仕事は車で1時間半…片道40キロを毎日です。
その次は車で片道50キロを毎日。

ガソリンスタンドには週に最低2回はいかなければならなので、すっかりスタンドの常連さんとなっていました。

そうこうしているうちにアメリカに行ったりして私たちが多忙になり、仲人の先生にはお中元、お歳暮、年賀状のおつきあいになってしまいました。

先生のご自宅も我が家からは遠かったのと、先生が夫の職場から転職したことも原因のひとつです。

転職後も夫に言われ、数人にお歳暮やお中元を送り、毎年の膨大な年賀状もすべて私が作成、送付手続きをしておりました。

ところが転職を理由に家を出た年から、私に、そういったことは自分がやるからあなたはやらなくていい…と言われてしまったので、ダブっても変だと思われるしなぁ…と思い、私からは夫関係には、その年からは出していません。

実は私は今のこの状態を仲人の先生にどう説明しようか、すべできではないのか…ずっと悩んでいました。

そこに財団からの出版記念パーティーのお誘い…。
電話を下さった方も私を覚えてくださっていて、是非ご一緒に…と。
(もちろん「一緒に」なんてことは無理ですが…)
数年前、先生は体調を崩されたとうようなお話を伺っていたので、とても心配でしたが、これはよい機会だと思い、先生の現在の状況をお伺いしましたところちょっと躊躇されたような感じで、「お年を随分召されてしまっていて今は第一線からは身をひかれて静かにお暮らしになっています」というお返事。
しかも多分、パーティには来られないかも…ということでした。
でも、今回の出版のことはとても喜んでおられていらっしゃるとのことでしたので、早速、ご自宅にお電話かけさせていただきました。

最初、奥様が出られたので、お話しをさせていただきましたところ、覚えていただいていて、すぐに先生と替わってくださいました。

…しかし…先生のおっしゃっていることがよくわからないのです…。

私を私だと理解されているのかどうかもわからないくらいでした。

ただ、本を出版してもらうことはとてもうれしい、だから是非、パーティーにも来てください、あなたは今どうしているのですか?ご主人はどうしてらっしゃるのですか?くらいは聞き取れました。
とても離婚裁判をやっているなどとは言えない状況でした。

学生時代、とてもかわいがってくださって、結婚式の仲人までしていただき、結婚後も就職の面倒をみてくださったりしていた先生…第一線でバリバリ働いていた頃の先生の自信に満ちた颯爽としたお姿しか私の頭には残っていません。
声も…まるで別人のようでした。

なんだか、電話を切ってから涙が止まりませんでした…。

そのせいでしょうか…今日は安定剤を飲んでも飲んでも、全く動悸と息切れが止まらなかったのです。
仕事先でも途中から仕事に支障をきたすと感じ、薬を飲みました。
今日のお仕事はちょっと精神的にきつかったもので、それが余計にプレッシャーになってしまったようです。
家に帰ってからはますますひどくなるばかり…。
6錠くらい飲んでしまいました。

1時間くらいじっとしていてやっと落ちついてきました。

数年前、夫が先生はちょっと痴呆症が入ってきているらしい…という話をしていたので、心配はしていましたが、まさかここまでひどくなってしまっているなんて…ホントにショックでした…。
お見舞いにお伺いしたらよいものかどうなのか…
かえって失礼にあたらないのか…いえそれよりもこんなにやつれてしまった私を私とわかってくださるのか…はつらつとされていた頃の先生しか記憶にないので、今のお声の状態からして「本当に御年を感じさせられるような感じになってしまっていますが…」とおっしゃっていた事務局の方のお話…そう考えると、今の私の中のはつらつとした先生のままでずっといてもらいたい…そんな考えが頭の中をぐるぐる一日ずっと回っていました。

追伸:以前書いた週刊文春7月7日号の記事を手に入れました…このことはまたもう少し落ち着いたら、そのときに書かせていただきたいと思います。
スポンサーサイト

Comment

管理人にのみ表示


Track back
TB*URL

copylight © NEVER GIVE UP. all rights reserved.
template by sleeeping!
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。