離婚裁判3年目 判決離婚後の慰謝料裁判で一審判決棄却を不服として上告、このたび、晴れて高裁で勝利を獲得しました
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09/11
2005 Sun
なぜこだわるのか…
なぜ、自分はこんな思いをしてまで夫と裁判で戦う決心をしたのか…。

それは…夫との結婚に私の人生を捧げてしまったからです。

…というと大げさに聞こえるかもしれませんが…
私は、子供の頃から本が好きで、図書館が大好きでした。

大学でそのために司書資格も取り、大学図書館に無事に勤めることができました。
大学時代から夫とは付き合っていましたが、その頃の私には「結婚」などという文字は頭にはなく、ただただ、憧れの図書館で仕事ができるということにに喜びを感じていました。

勤務先は夫の住むところからは、電車で3時間です。
家も電車で2時間半です。

夫は大学時代から、私たちは「お互いに暗黙に婚約を確認していた」としつこいくらいに陳述書に書いています。
私は…就職の際に頭に夫との結婚…というよりも、「結婚」ということ自体が頭にありませんでした。

夫との結婚ということが頭にあったら…そのとき、同時に採用が決まっていた夫の職場から1時間もしないところにあった新設の大学図書館を選んでいたと思います。

反論文にはそう書きました。

しかし、夫はそれに対して、私が遠い職場を選んだのはそちらが正職員の採用で、自分に近い方の職場は非常勤だったからだ…と主張しています。

結婚するということを前提に考えたら、どう考えても、いくら非常勤でも結婚後も勤め続けられる可能性のある近い方を選んだと思います。
やっぱり奴の言っていることってどこかおかしいんですよね…。

夫からは、付き合う前から「自分の仕事を手伝ってくれ」と私が大学の頃から、いろいろ調べ物などを頼まれたりしていました。
そうしているうちに自然と付き合うようになりました。
そうなったら更にどんどん頼まれる仕事が増え、原稿の校正を頼まれたり、論文に使うのに英文の和訳を頼まれたり、挙句の果てには100枚以上もの図のトレースを本に載せるために必要だからと頼まれました。
それは今でも出版されて夫が編集したものとしてでかでかと名前が書かれ、形として残っていますが私の名前などどこにもありません。

…当時は何の疑問も感じていませんでしたが、すべてお手伝いは無給でした。

私は卒論を書くためにいろいろ資料やワープロまで貸してくれた恩義があったこと、夫と付き合い始めたということ、また仕事自体に興味があったので、快諾してそれをやりました。

今考えれば、人がいいにも程がありますね~(苦笑)

しかし、実は夫が仕事上「バイト」ということで申請さえしてくれれば職場からバイトという形で報酬も出たはずだったのを知ったのは後のことです…。
事実、当時、夫の職場には、バイトとして自分の奥さんを登録してバイト代を出してもらっていた方もいらっしゃいました。

もちろん、自分自身がそういうことをやることが好きだったしそれが夫の手助けになるのであればという思いも非常に強かったことは確かです。

そしてそれは結婚後も変わりませんでした。

結婚するために仕事をやめる…それは私にとって、実は大して悩んだことではありませんでした。
(今思えばそこが浅はかだったのですが…)

というのは、夫は自分の仕事を手伝ってくれる生涯の伴侶として私を選んだと言いました。
価値観が自分と同じ、いろんなことを一緒にやってくれるのがうれしい…そんなことも言っていました。
だから、今までどおり、ずっとこれからも仕事を手伝ってくれと…。
夫の仕事を手伝うこと…図書館に行っていろいろ調べモノをしたり、コピーしたり、時には資料調査に同行し、メモ取りや写真撮影などもやっていました。
それは私の好奇心を十分に満たしてくれ、司書になるために勉強し、図書館に勤めていたというキャリアが十分に生かせる結婚でもありましたし、もちろん夫のことは愛していました。

ですから、私は何の躊躇もなく仕事をやめて夫と結婚しました。

ところが、夫は結婚後も仕事を探して続けるようにと言いました。
自分ひとりの給料ではやっていけないから…と。
そこで私は恩師に頼んで当時住んでいたところから電車で片道1時間半の職場で非常勤の司書として働き始めました。

もっとも、このとき、私の非常勤という立場は、夫の仕事を手助けするのにとても都合がよかったのです。
月15日をシフト制で出勤というものでしたから。

ちなみに夫は当時の自宅から職場までは車で10分、仕事柄、会議などなければ何時に行っても、時には職場で何も特別にすることがなければ、在宅勤務という形で家にいることも可能でした。

この間もずっと私は夫の仕事を手伝い、時には職場で遅くなった夫のために、帰宅後、晩御飯のお弁当を届けがてら、人気のなくなった職場でコピーの手伝いや図書館での調べ物の手伝いもしていました。

当時の私にはそれが生きがいだと感じ、夫の仕事に自分のしてきたことが役に立てている…それだけで十分幸せでした。
また、その職場は夫とも繋がりがあったので、仕事中に電話がかかってきて、この資料をコピーして持ってきてくれとか言われ、まぁ、いわゆる使いっ走りみたいなこともしていました。

ところが、そんな状況の中、結婚1年目にして現在の家を購入することになりました。
単にそれまでのアパートは手狭であるということと、自分の職場に近すぎるので車好きの夫にとっては出勤がつまらない…という理由です。
もっと毎日がリゾート感覚で、出勤もドライブ気分でいけるところに引っ越したい…と突然言い出したのです。

そして夫が見つけてきた家が現在、私が一人で住んでいる家です。

当時の夫の職場からはご本人もご満悦のドライブ気分の車通勤1時間。
時間は不定期。
私は駅近くの駐車場まで車で15分、駅まで徒歩5分、電車で乗り換え1回、1時間45分。
朝は7時前に家を出ないと間に合わなくなりました。
通勤時間はDOOR TO DOORで約2時間。

もちろん買うときに私は大反対しました。
しかし、夫は言い出したら私の言うことなど聞きません。
そこに姑まで入ってきました。

そして生前贈与として頭金を援助するとまで言い出しました。
もちろんそうなったら、私の結婚前の貯金も、頭金が少しでも多い方がいいからと言われ、言われるまま出しました…アホです。

私は…夫の実家が非常に利便なところにあるので、何かがあればそちらを使えばよい(実家は建て直した際に、1部屋、私達の部屋を作ってくれていました)と言われ、挙句の果てに、「あなたには家を買うなどという大きなことを決断する力はない」と言われ、私の意見など全く無視して夫は現在の家を自分だけの名義で買いました。

結果、私は往復4時間の通勤になりました。
出かけるときは夫はほとんど寝ていました。
家事…狭いアパートとは全然違う広さの家と庭の手入れ(当初、夫は本を買い込みガーデニングの設計に熱中、木を植えまくりましたが、すぐに飽きて、結局それは私の仕事となりました)、夫の仕事の手伝いで、平日の夜はほとんど毎日夜10時くらいになるとソファでうたたねしてしまっていました。
更にいくら月15日出勤とはいえ、交通費は自腹でしたので、定期代を見たら6ヶ月定期が1か月分の給料…

その仕事は、毎年更新していけば続けられる仕事でしたが、もう私の体は限界で、次の更新はしませんでした。

それから1ヵ月後、今度は夫関係の知人から、家から車で1時間15分くらい(距離で40キロ)のところにある会社の資料室で人を募集してるという話を聞き、そこに仕事に行くように言われました。
月~金、そこでは契約社員として働きました。

夫の紹介ということもあり、また資料室ということもあって、結構、こちらのわがままも聞いてくれました。

その間も空いた時間の合間をぬって、ずっと夫の仕事を手伝ったり、趣味に付き合ったりしていました。

職場の宴会などで泥酔して駅を乗り越してしまったり、終電に間に合わなかったりした夫を片道1時間、夜中に車を飛ばして迎えにいったりといったことも日常茶飯事でした。
(そのことを家裁では夫は「何回かはあったと思いますが、そんなに頻繁ではなかったと思います」などと言っておりましたが…今でこそ携帯があるからよいですが、携帯をまだ持っていなかった頃、田舎の駅で迎えに来るようにと言われてその時間に駅まで15分、真っ暗な田舎道を車で迎えに行き、ぽつりと来た電車…降りてこない…またか…そんなことが何度もありました。
そんなときは、いったいどこの駅で降りたのか…本人が気付いて電話をかけてくるまでどうにもできません。
また15分の田舎道を自宅まで帰り、ひたすら夫からの連絡を待つ…。
一度たりとも自分のお金で駅からタクシーで帰って来たことなどありません。

私が迎えに行くのが当然でしたから…。

どんなに疲れていても、酔って乗り過ごして車で1時間かかる先の駅で夫が降りたらそこまで迎えにいかなければなりません。
下手すると、上りの電車に乗ったつもりだったのに気付いたら下りになっていた…ということもありました。

数年後、夫のたっての希望で更に隣地も買い足し、土地は倍になりました。
もちろんその土地もすべて夫名義。
このときもそんなお金があるのなら、ここを売って、便利なところを買おうと私は言いましたし、老後、こんな田舎でどうするのか…と聞きましたら、利便な実家があるからこっちはいざとなったら別荘として使えばいい…そう言われました。
また、売る気はない、今のうちに広げておきたい…そう言われ、このときも言われるまま、私の貯金から出せるだけの頭金を援助しました…あきれるほどのアホです。

そして、そんな生活が10年ほど続きました。

私は、自分が夫に対してやってきたことについては、自分のできる限りのことをしてきたつもりです。
アメリカの大学に研修に行くことが決まった夫に、少しでも恥ずかしい思いをさせてはいけないと英会話も自分で働いたお金で習いました。

それが自分のするべきことだと思っていましたし、夫のためだと思っていたからです。

…何がいけなかったのでしょうか…
もし、そのときに不満が何かあって、そのときにきちんと言ってくれていたらこんなことにはならなかったのでしょうか…

夫と結婚したことで得たものは確かにたくさんあります。
それはとてもありがたいことですし、今でも私の財産です。
でも…今の私には失ったものがあまりにも大きすぎます…。

今更ながら…あんな安易に最初の仕事を辞めるんじゃなかった…と思います。

過去は振り返らない、振り返るまい、前向いて行こう!

こうなっちゃったのは他でもない、自分の選択の結果であったのだから…

舞台が代わってもやれることは同じ…私のやりたかったこと…そしてそれが自分の愛した人のためになる…そう思って私は結婚しました。

…こんな結末になるとは想像もしていませんでしたけれど。

ちょっとやりきれなくて、この先どうしたらいいのか…まだまだ越えなければならない山はいっぱいあります。

また…過去を振り返ってしまいました。

自分で選んだ自分の人生…だったはず。

コンパスを失くし、船長もいなくなった船にひとり取り残され、途方に暮れている気分…。

…今日はちょっとどころか思い切り後ろ向きの日…

ずっと心にひっかかっていた自分でも訳のわからないわだかまり…

たまにはこんな日もあるさ…
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