離婚裁判3年目 判決離婚後の慰謝料裁判で一審判決棄却を不服として上告、このたび、晴れて高裁で勝利を獲得しました
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07/22
2008 Tue
前向きに…
週末、実家に帰ってきました。

母は思いの外、普通でした。

「もう開き直っちゃったわ」

と言っていました。

この三日間の休みのほとんどを母の買い物に付き合いました。

母はまるで死に仕度をしているようでした。

家中のカーテンを取り替えると言い、傷みの目立ってきたダイニングチェアを新品にすると言い、それを選ぶのにあちこちまわりました。

また、抗がん剤治療を受ける決心をした母のために、すこしでも快適でいて欲しいと思い、母が日中休む和室に、弟たちと私でエアコンを入れることにしました。

去年の手術後に、一度、入れようとしたとき、固くなに拒否したのに今回はすんなり素直に「ありがとう」と了解してくれました。

また、長年入っていた百貨店の会員を脱会し、貯めていたポイントをすべて商品券にしました。
わたしにやたらと何かを買いたがるので正直困りましたが、それも母の気持ちを思うとありがたく受けるのが親孝行のような気がして、商品を選ぶ母の背中を見ながら涙が出そうになりました。

「ひょっとしたらもう運転しないかもしれないけど、やっぱり免許証は更新した方がいいよね」

って明るく言うし…

免許証更新のために眼鏡を作り直しに行ったのですが、元々顔が小さめの母ですが、

「これから痩せると思うから、大きめにしないともっと貧相になる」

などと言います。

折に触れて、自分が寝込んだ場合とか、いなくなった場合とか、そんな話をします。

これは捨てないで欲しいとか、貯金や貴重品はどこにあるかとか、自分の友人たちにはこうして欲しいとか、そんな話をします。

納戸やタンスの整理をしはじめていて、使わずに大事にしまってあったものを私や知人に分けようとしていました。

本当に、まるで死に仕度です。

でも…片付けの手をふと止めて言った一言に救われました。

「みんなあげちゃって、あと30年も生きちゃったらくやしいから、やっぱり今は全部あげちゃうのはやめとくわ」

うん、そうだよ、お母さん、その意気でがんばろう!

私も全力で応援するからね。

帰り道、運転しながら涙が止まらなくなり…視界がぼやけて前が見えなくなった。
そのままどこかに止まって声をあげて泣きたかったけど、きっと母は私にそんなことは望んでいない。
私が泣いたらダメだ…そう思い、涙をふいて運転し続けました。

がんばろう、お母さん!
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07/16
2008 Wed
宣告
母のガン再発です。

定期健診のときにひっかかり、再検査となってから約一ヶ月…結果が出ました。

手術のしようがなく、放射線治療もしても難しいとか。

「腹腔播種」

去年の手術で取った部分から細胞単位でお腹の中にガン細胞が散らばっていて、それが大きくなっているとのこと。

3ヶ月に一回、定期検査をしていたのに、4、5個、大きな者で1.9ミリにもなっていたガンを見つけられなかった…。

私が仕事を辞めて帰れれば一番いいのだけれど、それも難しい…。

父が言いました。

「お母さんはオレが面倒見るから、お前はたまに顔出してくれればいいから」

その言葉に涙が止まらなくなってしまいました。

父と不仲で離婚しても絶対に実家には戻らないといっていた長男と話をして、実家に戻るよう説得しました。
最初、うまくやる自信は全くない…だから引っ越すとしたら近くに越すと言ったので、一緒に住んでいるのと近くに住んでいるのでは、いざというときに全然違う…そう言ったら、考えると言ってくれました。

心から「ありがとう」です。

母は来週までに抗がん剤(化学療法)を受けるかどうかを決めなければなりません。
抗がん剤の投与は一生、一週間に一回46時間の点滴。

副作用は投与してみなければわからないそうで、抗がん剤を投与しなければ、もって半年くらいとのこと…。

今まで、術後、あまりにも母が元気でいてくれて、定期健診もきちんと受けて毎回「大丈夫だったよ」との連絡だったことを過信しすぎていました。

本当に本当のことなのでしょうか…何かの間違いではないのでしょうか…
05/27
2008 Tue
構わないで…
先週、弟夫婦が離婚しました。

10歳歳下の奥さんでした。
結婚したときは確か弟が31で彼女が21歳だったかな。
彼女からの猛烈アタックの末ゴールインだったようです。
弟も仕事をしながら(彼女は専業主婦)、一生懸命家事を手伝い、彼女の友達を呼んではBBQをしたり料理をしたりしてもてなしてたりして、まわりからは「とてもいい旦那さん」とうらやましがられていた夫婦でした。

そんな二人が、あっという間に離婚しました。
理由は、妻には家にいて欲しい弟に、遊びに出歩きたい妻が、毎回、弟に何だかんだと言われるのが耐えられなくなった…そんなところでしょうか。
まぁ、真実は本人たちしかわかりませんが。

先週末、実家に帰り、弟とお嫁さんに話を聞くことにしていました。
そのときはまだもめているっていうことだったので…。

お嫁さんとは日曜日の夕方に約束をしていましたが、土曜の夕方、母と夕飯の買い物をしていたら、突然メールが入り、会うのは今日これからにしてもらえませんか…とのこと。

久しぶりにハンバーグが食べたかった私が、母にリクエストして材料を買っていたのですが、結局、そちらに行くことにしました。

お嫁さんと会う約束をした直後、弟から電話がかかってきて「昨日、届けだしたから、そのつもりで話して…」って。
しばらく話をしていたら、突然、弟が泣きはじめ…初めて見つけた心の居場所だったけど、オレが好き過ぎてしばりつけてしまったのかもしれない…そう言いました。

私もそんな弟が不憫になり、涙が止まりませんでした。

もう、何だかわけわからなくなりました、
お嫁さんは私に一体何を話ししたいのでしょうか、私は一体何を話したらいいのでしょう。

弟からの電話で10分ほど遅れて約束の待ち合わせ場所に行ってみると、短めの黒い半袖ワンピースを着たお嫁さんが待っていました。
ご飯を食べましょうと、イタリアンレストランに入り席につくと、お嫁さんは「うふふ」と笑いました。

さすがにきまり悪かったのでしょうね。
それとも開放された喜びでしょうか…

そして、離婚に至る理由を私に話してくれました。
年上だったから、好きにさせてくれると思ったから結婚したけどそうじゃなかった…そう言いました。

結婚って、「好きにさせてくれるから」するもの???
一緒にいたいと思うからするものじゃないのかしら…。

そして、離婚届を出した当日、つまり私と会う前日、バイト先であるコンビニのバイトの男の子に夜中の12時過ぎにご飯に誘われたので、出かけ、明け方4時まで盛り上がってしまったので寝ていなくて、眠い…帰り際に彼女はそう言いながら、スタバでコーヒーを買っていました。
いまだに近所の実家の自分が使っていた部屋が片付いていないから帰れないと、弟と同じ屋根の下で暮らしています。
もう夫婦じゃなくなったから、何してもいいのかなぁ…相手に対する気遣いは全くないのでしょうか。

離婚届は、どうしても出しに行くと、車の運転が苦手な彼女が場所もわからないのに出て行こうとするので、原因は自分だと思った弟が、責任を取るために自分で出しに行ったそうです。
そんな日の夜に、バイト先の男の子と夜中に晩御飯を食べて盛り上がれるって…何だか本当に弟が不憫でなりませんでした。

母が入院したときも毎日病院に通ってくれて、父母と不仲な弟を気遣い、一人でよく実家を訪れてくれていたお嫁さんで、父母もとても気に入っていました。
そんな彼女の知らない一面を見た気がしました。
離婚した日にそんなことをしていたなど、両親には言えません…。
いろいろ考えているうちに、離婚して正解だったのではないか…落ち込んでどん底にいる弟には申し訳ないけれど、そんな小姑根性まで湧き出てきている始末。

おまけに離婚してメールアドレスが変更になったようで、早速、私と母に変更アドレスを知らせてきました。
以前は、弟の名前と自分の名前を組み合わせたアドレスだったものです。
何だか…また連絡してねと言ったものの、こう急に変更されて、しかもキラキラ楽しげなデコメで送られてきても全然楽しくない…。

両親がかわいそう…そう思います。
私だけでなく弟まで…本当に申し訳ないと思います。
周りの友達はみんな孫がいるようですしね。
口には出さないけれど、本当に寂しい思いをしているのではないかと思います。

引越し費用もないし、実家の両親とも折り合いが悪いから戻りたくないということで、しばらくは今の場所にいるつもりの弟。
あちらの実家は目と鼻の先で、遅かれ早かれお嫁さんはそちらに戻ります。
お兄さん夫婦やあちらのおじいちゃんおばあちゃんまでご近所です。
そんなところに一体なぜ住んでいようと思えるのか…彼の心理状態が本当に心配で、今、半々生活でもいいから実家に帰るように説得中です。

でもあんまりうるさくも言えません。

本当に…心配で、正直、自分の離婚のときよりもショックです。
12/05
2007 Wed
弟たちへ
「ありがとう」

心から本当にそう思いました。

私には弟が2人おります。
長男は結婚して独立し、次男は働きながら、親と同居しております。

二人とも実は姉っこであります。
子供の頃から両親の言うことは聞かなくても、私の言うことはよく聞いていましたし、何かあって相談してくるのも、両親ではなく私にでした。

私が大学に受かり、一人暮らしをするために家を出ることになって引越し荷物を作っていたとき、両親が、私たちが子供の頃にお揃いで買ってくれたぬいぐるみを3体、こっそり私の荷物に紛れ込ませていました。

あのときは、余計なものを入れるな~!って出してしまったのですが、今思えば、自分たちの代わりに連れて行って欲しいっていう思いが詰まっていたのではないかなと思います。
今思い出しても、かわいそうなことをしてしまったなって思います。
(当の本人たちは忘れているかもしれませんが、姉はしっかり覚えています(笑))

さて、実は様々な事情で、突然、今週末、最後の荷物の運び出しをすることになりました。

陣頭指揮を取ってくれる次男の予定でそうなってしまいました。
元々、荷物の運び出しのときは手伝ってくれるよう、前から頼んではいたのですが、あまりにも突然で、長男が野球の試合があるから、雨が降らないと行けないとのこと…。
とりあえず、助っ人に友人も一人お願いしているので、次男と二人で何とかなるのかな?とは思っていました。

昨日、長男から電話があり、今回の野球は自分が言い出しっぺで、今年最後の野球をしようという話になったのだそうで、どうしても抜けられないとのこと。
なので、実家に運んだ荷物を運び入れるのだけ手伝ってくれればいいと言いました。
が、何だか長男、煮え切らず…一日、時間をくれと言い残して電話を切りました。

そして今日、長男からメール。

「引越し行くのでよろしくお願いします」

って、「いいの?!ホントに無理しなくていいんだよ」って聞いたのですが、「大丈夫!」の一言しか返って来ませんでした。

うう、我が弟ながら、何ていいヤツ…

こういうとき、家族ってうれしいなって思います。
ありがたいなって思います。
普段はあまりべったりしてないのですけど、いざっていうとき、ホント頼もしい。

それにしても、久々の兄弟の共同作業が姉の離婚の後始末っていうのも何だかな~って気もしますが…とにかく、ありがとうというか、迷惑かけてごめんなさいっ!です。
あまりにも申し訳ないので、長男の野球仲間には何か差し入れを持って行ってもらおうと思います。

ということで、友人と鍋やさんに行ってストレス発散お食事もして、機嫌よく帰ってきたら、弁護士さんからのお手紙がポストに入っていました。

まず、相手方から慰謝料の振込があったというお知らせ。
結局、最高裁への控訴はあきらめたようです。

その代わり…またもや支離滅裂、自己を正当化しようと必死で何度も同じ事を繰り返している財産分与裁判の陳述書が届いていました。

またもやどんよりです。

今回、慰謝料請求裁判で、裁判所が「事実」として認めたことを一切無視しています。
年内に一度、弁護士さんと打ち合わせに行かなければならなくなりましたが、かなり厳しいのです。

私が担当している新しいお仕事2つが来週と再来週それぞれスタート予定なので、今月は這ってでも会社に行かなければならないのです。

これじゃ、風邪もひけないです…。

年末年始のお休みも、クライアントの都合で短くなったし…仕方ないですね。
とりあえず今年最後の大仕事、できるだけ今年のうちに片づけて、新たな気持ちで新年を迎えたいと思います。

あ…その前にクリスマスでしたね。








08/30
2007 Thu
叔母という人
今週、月火、遅い夏休みをいただき、祖母、伯母、叔父、母の温泉旅行に同行しました。

母は退院後、初めての旅行、私もなかなか休みが取れず、祖母とも10年以上旅行もしておらず、せっかくの機会だったので無理して休みを取りました。

祖母の家に着くと、今回の旅行の参加者の伯母たちが待っていましたが…十数年ぶりに会う叔父から見知らぬ方を紹介されました。

叔父の再婚相手の方でした。

叔父は10年以上別居していた叔母と、娘の結婚を機に去年やっと離婚、そしてすぐに再婚をしました。
再婚したことは知っていましたが、その相手が今回の旅行に来るとは聞かされていなかったので、本当に戸惑いました。
叔父は、元旦那と同じ職業ということもあり、私的には叔父の離婚、再婚は実はかなりひっかかっていたのです。

離婚した叔母は、かなり物事をはっきり言う人で、自己主張もかなり強い人だったと記憶しています。
その叔母とは対照的に、高齢の祖母のことを気遣い、叔父に気遣い、本当に女性らしい方でした。

が…やはり、どうしても元旦那と重なってしまい、最初、自分の中で、その新しく叔母となった人を受け入れることができずにいました。

旅館に着く早々、お風呂に入り、宴会となり、いい気になって飲んだ私は部屋に戻るとあっという間に眠くなってしまい転寝してしまいました。
目が覚めたのは10時過ぎ。
別部屋の叔父夫婦と祖母は部屋に戻ってしまっていました。

それから母と伯母と再びお風呂へと行きました。

私はひとり川岸の露天風呂へと降りていきました。

するとそこには、とっくに寝たはずの叔母となった人がいたのです。

そこへ母と伯母がやってきてしばし4人でおしゃべり…母と伯母はあっという間にのぼせてしまい、上がっていきました。

後に残されたのは私と叔母…。

正直、何を話していいのかわからず、ちょっと気まずい雰囲気が流れてしまった気がしました。

最初に口を開いたのは叔母でした。

「お母さん大変でしたね」

入院していた母のことを心配してくださっていました。
それを口火にいろいろと話をしました。

叔父とのことは何となく触れてはいけないのではないかと思い、あえて聞きませんでしたが、話の流れでなんとなく叔母が私に「ご主人は?」と聞いてきました。
いきなりの話の展開に私も「ひとりですよ」としどろもどろになってしまいました。
あまり親戚にもおおっぴらにはしてないですから、10数年会っていない叔父が私の離婚を知らなくても当たりまえのことですしね。

で、なぜひとりなのかという説明をし始めたら、口が止まらなくなってしまいました。
彼女のやさしい言葉やまなざしに、私の警戒はあっという間に解けてしまい、叔父がなぜこの人を選んだのか、よくわかった気がしました。

叔母は本当に怒っていました。

「どっちが悪いにせよ、一度、結婚したらその人の人生を変えてしまったのだから、終わりにするときはきちんとその責任を果たさなければならない、卑怯だ」

と言っていました。

そして、叔父は、元叔母と離婚するときに、家も貯金もそして、離婚せず年金を分割すれば叔母が当然もらえる額を借金をしてまで準備して渡したのだということを教えてくれました。

叔父は元旦那とは全く違う人種であったことに心からほっとしました。
一時でも、叔父を元旦那と同一視していた自分が恥ずかしくなりました。

叔母はこんなことも言っていました。

「私は生まれたときからずっと地元で育ってきてほとんど地元を出たことがなかったのですが、こんなに遠い所でのんびりと露天風呂に入っているということがとても不思議です。これも縁なんですね。本当に縁は大事にしなければと思います」

そんなこんなで叔母と話がはずんでしまい、気付いたら1時間以上、露天風呂に浸かっておしゃべりしていました。
出たり入ったり、夜風も気持ちよかったので、のぼせずに済みましたけど(^_^;)

次の日はあいにくの雨でしたので、宿でちょっとのんびりしてから出かけることに…。
で、また懲りずに露天風呂にもう一度入り、朝食をいただいてから出発。

帰りはおみやげものやさんめぐりをしながら、新幹線と飛行機で帰る叔父夫婦を駅まで送っていくことに…。

途中、弁護士さんから電話がありました。

「今週、金土、荷物運び出しのための下見はいかがですかとのことです。なるべく顔を合わせたくないので、決めた時間だけ鍵をあけておくとのことですが」

そんないきなり今週末と言われても、しかも平日なんて絶対に無理。
第一、今週土曜日は前から休日出勤と決まっていました。

相変わらず、自分の都合しか考えない男です。

楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、駅に着くと別れ際、叔母が私の元にこっそりやってきて、小さな包みを渡してくれました。

「あなたの心がこんな色になることを祈ってます」

そう叔母は言いました。

びっくりしている私にその包みを私に押し付けると、叔母は叔父と一緒にみんなに見送られて駅の階段を何度も振り返り、手を振りながら帰っていきました。

叔母からいただいたその小さな包みは、自分の家に帰ってくるまで開きませんでした。
その叔母の言葉と小さな包みは、帰りの道中もずっと私の心の中にふんわりと暖かいものをともし続けてくれていました。

家にたどりつき、ひとりになってからその包みを開くとそこにはこんなメッセージが書いてありました。

「旅の想い出です。貴女の心がこんな色になります様に」

その包みの中には、淡いピンク色のふたつの茄子が合わさってハート型になったお皿が一枚入っていました。

本当に心があたたかくなり、叔母のやさしい心使いに涙が出ました。

叔父夫婦も色んな苦労があって今の幸せがあるんだろうなと思います。
当然、そこには離婚した叔母の悲しみや苦労も背負っているはずです。
だからこんなにも他人に対してやさしくなれるのかなと思いました。

自分もいつか叔母のような人間になりたいな…そう思いました。
05/23
2007 Wed
抗がん剤
飲むことにするようです。

リンパの中には幸い、がん細胞は見つからなかったようですが、腸の内部にいたがん細胞があまりたちのよいものではないそうです。

ただ、副作用もあるので、本人の意思に任せるとのこと。
予防的処置です。

母は「飲まずに再発したら後悔するから飲む」と言っています。
しばらくはつらいと思いますが、できるだけサポートしようと思います。

とはいえ、週末に実家に帰ることくらいしかできないのですけどね。

退院してきたとはいえ、まだまだ本調子ではありません。
私がいたときはちょっと無理して起きていたかなって感じます。
布団を干していたっていうのもあるんですけどね。

私がいないほうがおとなしく寝てくれているのかもしれないです。

例の20ページの文書、この前、ちょっと読み返してみたのですが・・・ざっと読むだけでも30分はかかりましたリアラ

こんな長いのを裁判官はきちんと読んでくれるのかしらね。
ちょっと不安…それにしてもよくぞ書いたな~、自分と何度も感心し、自分の人生についての反芻をしてみる。
こんなことしても意味ないと思うのだけどね。

そして、何となく、過去のブログをひっくりかえしていました。

何だか、今より深くいろいろ考えていたような気がします。

今は?

仕事にわんこにその他いろいろで、あっという間に一日が過ぎ、慌しい毎日。
昔の生活が考えられません。
何たって、朝は11時に起きればいいほう。
明け方4時、5時まで起きているから当然そうなる。
お昼過ぎに仕事に出かけ、夕方はわんこ散歩に行き、帰ってからは家のものヤフオクで売るのに必死だったな~。
そういえば、古物商許可証なんてものも持ってるんだったわ、私。

ただ、今が充実しているのかと言えば、どうなのかなぁ…仕事は確かにおもしろくなってきたけれど、自分のキャパの限界を感じる今日この頃。
もっともっと人間的も社会人としても成長したいなと思うのだけど、何せ根がど単純な上に雑ときているので、今一歩のところでつまらぬミスをしてこける。

そういえば、うちの会社ってば最近チマチマと各界に注目されつつあるらしく、連日取材の申し込みやら会社についての問い合わせが来るのだわ。
まぁ、去年の今頃は「転職したほうがいいぞ」なんて言われたから、それを考えれば夢のような話なのだけど、私と一緒で会社のキャパってもんがあるから、これもまた重圧なり。

世の中、なかなかバランス取るのが難しいですね(苦笑)
05/03
2007 Thu
母の手術
無事に成功しました。

手術の日は、私と父と義妹が付き添いました。

当日、母は緊張していましたが、「もう逃げられないわね」なんて冗談も言っていました。

ストレッチャーで運ばれていく母に付き添いました。

初めての体験。
私の方が緊張してしまっていたかも…。

待っている間、落ち着かなく、途中、伯母が到着して待合室で4人で待ちました。
母が手術直前に、きれいだから見てくるといいよと言った屋上の庭園を見に義妹と一緒に行きました。

がんセンターですから入院の人はみな、がんです。
退院間近なのか、これから手術なのかは一見わかりませんね。
皆さん、庭園でくつろいでいました。

でもね、実はさまざまなところに自殺防止がしてあるそうなんです。
たとえば個室の窓なんかは10センチ程度しか開きません。
また、屋上のフェンスも絶対に乗り越えられないようになっています。

入院している人たちは、みんな死と必死に戦っている人たちばかりなのです。

母は午後2時に手術室に入りました。
私たち家族にはポケベルが渡され、手術が終わったり何か緊急事態が起こったらそれで呼び出しますと言われていました。
手術は3時間程度と言われていましたが、5時半をまわってもなかなかポケベルが鳴りませんでした。

待合室には私たちだけになりました。

そして6時近くなった頃、ポケベルの呼び出しではなく、看護婦さんが私たちを呼びに来ました。

医者の説明を聞くために父がまず面談室に行きました。
私はちょっと躊躇しました。
何せ、切った患部を見ながらの説明。
行くという義妹にひきずられて私も行きました。

説明の結論としては、とれる部分は取りきったので、あとは細胞レベルでガン細胞がリンパに転移していないかどうかを調べるとのこと。
それによって今後の治療が決まるのだそうで、検査結果が出るのは退院できる頃でしょうと言われました。

その後、ICUで麻酔から覚めかかってはいたものの朦朧としている母に面会。
何と言葉をかけたらよいのかわからず、がんばったね、手術は成功したから今日はとにかく休んでね…そんな言葉をかけたと思います。

とりあえずその日は帰宅しました。

次の日、家族なら面会できるということで、病院に様子を見に行きました。

様々な管をつけられ、酸素吸入器をつけられた母は痛々しく、熱があるようで氷枕をしていました。
傷口が痛まないように背中から痛み止めの薬を入れていました。

母の第一声は伯母に対してのもので「洗濯物」でした(汗)
どうも、前日に使って取り替えた腹帯の洗濯がもっとも気になったようです。
そして次に私に行った言葉は「電話」です。
手術前に私に預けた携帯を自分の枕元に置くようにとのこと。

手元にないと落ち着かないのだろうか…そう思い、枕元に置きました。

あまり長い時間いては疲れれるだろうと思い、15分ほどで帰りました。

帰り道、伯母と父とお茶をしていると私の携帯メールに着信。

母でした。

「●●にも電話して」

はぁ…ちょっとあきれてしまったけど、こんな元気があるなら大丈夫?

「電話するけど、ちゃんと安静に寝てなさいよ、メールなんかするんじゃありません」

って返事したらブタさんの顔の絵文字が返ってきましたよ。

その次の日にはもう歩く練習。
最初、めまいがすると言って断念しましたが、午後また再チャレンジ、結局、体重を計りに往復80メートルほど歩きました。

最初は個室だった母ですが、あっという間に元気になって、4日目には大部屋に戻りました。
もう毎日行くたびに「暇でしょうがない」を連発してます。

昨日は酸素吸入の管も取れました。

私はカレンダー通りの出勤なので、昨日、一昨日は仕事に行きました。

本日は自宅から病院に直行して実家です。
残りの連休はずっと病院通いですが、日に日に元気になっていく母を見ているのはうれしいものですね。

これで検査の結果がよいものであれば文句なしなのですけれど…。
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